白血病 治療体験談 Vol.6
2007-12-24 Mon 14:24
今回はHLAと言う言葉が出てきます。
血液型は皆さんご存知ですよね。
A・B・O・ABこの4つのおなじみの血液型は赤血球の血液型を指します。
HLAとは白血球の血液型を指します。
ABO式のように4つではなく5つのカテゴリーが有ります。
HLA-A・HLA-B・HLA-C・HLA-DR・HLA-DQこの5つの中にそれぞれ「型」と呼ばれるものが存在して形成しています。
まぁ、詳しくはこちらのリンクをご覧下さい。

特定非営利活動法人HLA研究所

HLA検査手順などはこちらからどうぞ。
難しいですよね。
でも、ちょっとでもご理解頂ければ嬉しいです。

それでは続きです…。

病名を告知され、薬を呑み始めてから1週間ほどで効果が現れ始めていました。
通常の数値が約3,000から8,000なのに対して、発見当初で50,000、最大で110,000まで増えてしまっていた俺の白血球細胞ですが、呑み始めて1週間の時点で60,000まで下がってくれていました。
幸いにして副作用も殆ど出ず、順調に治療を進める事ができていました。
そんなある日、先生から兄弟のHLA検査を進められました。
もし万が一、治療に行き詰まってしまった時の最後の手段「骨髄移植」の為に兄弟の白血球の型を調べておいた方が良いと言うのです。
その提案には拒む理由も無く、すぐに実家の弟たちに連絡をし、検査をしに来てもらう様に頼んでみる事にしました。
返事はOKでした。
もし自分が逆の立場だったらと言う事を考えれば、有無を言わさせず駆けつけているでしょう。

程なくして見舞いもかねて、東京から父親と弟2人が都合をつけて来てくれました。
本当は次男の嫁さんも来る予定でしたが体調不良の為、来るのを見合わせた様です。
何せ東京と東北では距離が離れていますから、無理は出来ません。

家族が病院に到着するなり、すぐに検査が開始されました。
検査と言っても何ら難しい物ではなく、普通の採血とほぼ変わりがありません。
なので、俺、次男、三男と順に血を採ったらそれでお仕舞いでした。
その後、父親が先生から直接病気についての話しが聞きたいと言うので説明会が始まりました。
私が嫁さんと2人で受けた説明を先生は再度丁寧に、親父と弟達に説明して下さいました。
まぁ、聞いたところで俺の家族です。
俺自身と同じ様に半分以上は理解不能だったと思います。
最後に「ご質問は?」と言う先生の問いにも、何を質問していいか分からないと言った感じで、その後俺が質問攻めにあいました…。

説明会が終わり親父と嫁さん、それに弟二人は外に昼食を取りに出かけました。
久しぶりに周り人がいっぱいいたのでかなりテンションが上がっていたせいか少々疲れてしまったようです。
この一人の時間はチョットだけ寂しくもあり、また休憩もできると言った時間でした。

皆が戻って来たのは、2時〜3時の間だったと思います。
病院に着いてから今までバタバタと時間が過ぎていたので、これで一息ついて話ができると思った時でした。
いきなり次男が「帰る」と言い始めました。

「○○(次男の嫁さんの名前)が心配だから…。」

どうやら俺への心配は直接会ってピンピンしている姿を見て失せたらしいです…。

夜中の2時に車で東京を出発して俺の自宅に到着したのが、朝日が昇り始めた頃だそうです。
少し自宅で仮眠を取り、10時ごろ病院入り、検査をして説明を聞いてから、お昼の時間…。
ご飯を食べて戻ってきて夕方ちょっと前…。
そんでもって帰路に着く…。

題して
「東京〜みちのく半日旅行記」

う〜ん、イマイチ?

俺と嫁さんは「もう少し身体を休めたら…」と進めたが、頑なに次男が譲らないので帰宅決定となりました。
それに対して、異論を唱えない父親と三男も面白い人達です。

そんな訳で、そそくさと帰って行くのでした。

さて、今回やったHLA検査ですが、兄弟間でHLAが適合する確立は4分の1です。
移植のリスクを考えて、一致している事を強く願いました。

ですが、それ以前に薬で数値をコントロールできれば、それに越した事はありません。
実際、今現在も数値は正常を保ってくれている訳ですから。
なので、この時は移植と言う選択肢を頭の隅にすら置いてはいませんでした。

検査の結果が届いたのは1週間後でした。
結果は、次男がHLA全適合で一致していました。
この事を少しでも早く知らせようと仕事をしている時間なんか関係なく連絡しました。
この知らせを聞くなり次男の第一声はと言うと…。

「げぇ〜、俺かぁ〜。」

どうやら次男的には「はずれクジ」だったみたいです…。
まぁ、無理もありません…。
先述にも少し触れましたが次男は幼い頃に白血病の疑いを持たれ入院をし(結果的には違っていましたが)その時にマルクの経験が有り、あの激痛を知っているのです。
だからそんな風に言う次男を攻める事は出来ませんでした。

「悪いな…。」

心底申し訳ない気持ちになりました…。

「もしもの時は力を借りるよ…。」

申し訳なく思っていても、そうせざるを得なかった時の事を考えてお願いをしました。
幾つか言葉を交わし、会話の締め括りに次男は「まぁ、適合して良かった」と言ってくれ俺はの気持ちは救われました。

その後、父親、母親、三男にも、この事を伝えて皆にそれぞれに「良かったね」と、言われました。

「できれば移植せずに行きたい…。そうすれば次男に負担を掛けずにいられるのに…。」

型が一致し万が一への備えが万全になった喜びと、次男への申し訳なさが入り混じり複雑な心境でした…。

その後、薬による副作用も出ず、数値の方も正常値を保てる様になりつつあると見た整形外科の先生は手術の日取りを決めてくれる事になりました。

「2004年10月26日」
この日に決定しました。

まだ足の腫れは腫瘍による物ではないか、との疑いもありました。
腫瘍となると、また話が面倒な事になってしまいます…。
どうにか血腫であって欲しいと望まずにはいられませんでした。

「しかし俺は運が悪い…。」

そう運が悪いのです…。
ですが、その運の悪さをひっくり返してしまう様な出来事が、この「2004年10月26日」に起こる事など、この時はまだ考えも及びませんでした…。

続く…。


皆さんは「骨髄バンク」をご存知ですか。
「急性骨髄性白血病」で亡くなった歌手の本田美奈子さんや元サッカー日本代表の井原正巳さんがCMをされていました。
欧米から比べると、日本ではまだまだ登録者はもちろん認知度も低いです。
最近になってようやくTVや映画などのメディアによって、その存在が知られるようになって来ました。
この体験談を見て下さっている方で少しでも興味を持たれた方は下記のリンクを開いてみて下さい。

「骨髄バンク」に関するホームページです。

実際に移植のドナーになると言う事は少なからずリスクが伴います。
もちろん痛みも…。
これらの事を踏まえても困っている患者さんの力になりたいと思う方は、登録を考え見て下さい。

骨髄移植推進財団
特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会
日本さい帯血バンクネットワーク

そしてドナー登録をして骨髄移植に協力をして頂いた方たちの体験談などが掲載されているサイトです。

骨髄バンク ドナーの輪

参考になさってみて下さい。

現在、私自身も体調がいいと言う事もあってボランティア活動のお手伝いをさせて頂く事もあります。
骨髄バンクのドナー登録会や、事務局での簡単な雑務です。
そこでは私と同じ元患者さんと言う方も沢山参加されています。
あっ、私は元患者ではなく、現患者ですけどねw
患者同士の交流は本当に勉強になります。
私の体験した事がちっぽけ過ぎて申し訳無いくらいになってしまう程です。
様々な体験談を聞けることだと思います。

常に猫の手も借りたい状態のボランティア団体ですので、骨髄バンクへの登録だけじゃなく、こう言った活動の方にも興味を持って頂けたらと思います。

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2007-12-24 Mon 17:50 プレサーチ
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