〜2005年10月〜 さて、その後は何事も無く病気である事を忘れてしまうような、穏やかな時間が経過していました。
そして足の手術をしてから、もう少しで1年を迎えようとしています。
と、同時に「グリベック」を呑み始めてからも1年を迎えようとしていました。
体調は、もちろん異常なし。
副作用に至っても、何の症状も出ず、薬を呑んでいる事以外は何ら普通の人と変わりはありませんでした。
この薬を呑み始める前の先生の説明によると1年継続して呑み続け、その後マルクをする予定でいました。
染色体の異常が消えているかを調べる為です。
確率的には低いようなのですが「異常が消えた」と言う症例もあるようなのです。
染色体の異常が消えていないと言う事になると、今後この薬での治療に限界があるかも知れないと言う事になります。
従って「骨髄移植」と言う選択肢も考えなければ、なりませんでした。
そして、仮に骨髄移植と言う選択支を選んでも、この病院では移植の設備が整っておらず、移植をするには国立の大学病院に転院しなければなりませんでした。
と言う事は、担当の先生は大学病院への先生と変わってしまう事になります。
そう言う意味では、今の先生を信頼して治療を続けて来た俺と嫁さんにとって、大学病院はあまり魅力を感じませんでした。
確かにこの界隈では一番の先端医療が受けられる場所なのかも知れませんが、主治医との信頼無くして病気に立ち向かうと言うのはありえないと思っていたからです。
なので、俺たち夫婦の中では別な選択肢を模索し始めていました。
1年前に祖母が亡くなり、東京の実家の生活環境が大きく変化していました。
その為、俺と嫁さんは東京への移住も考え始めていました。
それにどうせ主治医が変わるなら東京の有名な病院の先生に見てもらうのも、良いかも知れないと思ったからです。
そんな話しを現在診てもらっている先生に相談をしました。
「じゃあ1年目の検査はもうちょっと様子を見ましょう。もし東京に行かれるのであれば、そちらで検査をした方が宜しいかと思いますし。」
と言ってくれて、検査の見送りが決定しました。
「体調も安定しておりますし、今すぐ決断する事も無いでしょう。ゆっくり考えて最善の答えを出してくださいね。」
そう、最後に付け加えてくれました。
この先生には俺も嫁さんも本当に感謝していました。
病気の事はもちろんですが、高額になった治療費の相談まで親身になって話しを聞いて下さり、アドバイスをくれた事もありました。
そんな理由もあって主治医が変わる事にすごく抵抗があったのです。
「さあ、どうしたものか…。」
俺は実家に戻ると言うだけの事かも知れませんが、嫁さんにとっては、かなりの不安があるはずです。
東北圏から一歩も出た事が無いと言うのもそうですが、何より旦那の親と同居しなければならないと言うのはかなりの負担でしょう…。
しかし、治療費による金銭的な状況等を考えると戻らざるを得ない状況に向かいつつある事は、俺も嫁さんも解っていました。
ですが、決断を下せないまま、その年の冬を越す事になりました…。
〜2005年3月〜 突然の連絡が三男からありました。
「結婚する…。」
「えぇ〜!!」
突然の知らせに驚きました!
そして、この事が俺達夫婦に東京行きを決意させる事にもなりました。
そうと決まると行動は早かったです。
5月に弟の結婚式を終えると、すぐさま引越しの準備に取り掛かりました。
それと同時に忘れてはいけない、東京に行ってからの新しい病院探しもネットカフェに行って調べていました。
日程は、俺と嫁さんの都合、そして引越しを手伝いに来てくれる父親や弟達の予定を考慮して、8月のお盆休みの時期と決まりました。
調べていた病院も東京の家からはちょっと離れていますが、白血病治療にかなりの実績のある病院を探し、そこに決める事にし、先生に相談を持ちかけました。
先生から「そこなら大丈夫」と太鼓判をもらい、快く紹介状を書いて下さいました。
「本当にありがとうございました」と、感謝の言葉を伝え、お別れをしました。
さぁ、これで準備は整いました。
東京での新しい暮らしが始まります。
仕事の事など不安は幾つか残ってはいますが「どうにかなる」の精神で乗り切って見せると心に誓うのでした。
〜2005年8月〜 引越しはスムーズに進みました。
東京から父親がレンタカーを借りてきて次男夫婦と親父の3人で来てくれました。
次男の嫁さんは俺の嫁さんと違って関東圏から出た事無い人で東北の田舎を実際の目で目の当たりにして目をキラキラさせていました。
ですが、以前のHLA検査の時と同じ様に引越しのスケジュールは強行軍でした…。
夜中から車を走らせ明け方東京から親父達が俺の家に到着をし、あらかじめ俺たち夫婦がまとめて置いた荷物を昼頃から積み込み夜には出発と言う無謀な計画です…。
無謀な計画ながらも弟夫婦と俺たち夫婦の迅速な仕事により予定通り事は進みました。
ただ一つ、親父が終始、眠り通りたと言う事以外は…。
そしてついに東京の地へと赴きました。
東京に越して来てまずは最初にした事は病院へ行く事でした。
前の病院の主治医の紹介状を手にあらかじめ電話で予約を取って置いた病院へと向かいました。
さぁ新しい主治医とのご対面です。
やはり前の病院での先生の印象が良すぎた事がネックになっていましたが、新しい先生にも悪い印象と言うのは受けなかったので一安心です。
それにこの先生は血液内科の道では、それなりに名前の知られている方らしく、その辺りに関しては心強い面がありました。
さて、なにより俺が気になっていたのがマルクの事でした。
前の病院で延び延びになっていたマルクをまずは、やらない事には何も始まりませんでした。
〜2005年9月〜 この病院での2回目の診察の時にマルクは行われました。
前回の痛みがトラウマとなっていた為、今回の採取は腰骨からお願いしました。
痛みを警戒し、かなり力んでいたのですが、これが思ったほど痛みを感じる事なく、あっという間に終わってしまい拍子抜けする程でした。
結果はまた1ヶ月後の診察の時です。
東京に来てからの仕事は、嫁さんはすぐにコンビニのバイトを見つけて来ました。
俺は、と言うと検査の結果出るまで治療の方針が定まらずにいたので、正社員にはならず派遣社員として、パン工場で働いたり、某家電量販店で働いたりして収入を得る事にしました。
〜2005年10月〜 1ヶ月後、検査の結果が出ました。
今までの高額な治療費用の捻出の苦労が報われる事を切に願いました…。
ですが、報われませんでした…。
結果は陽性…。
染色体の異常は1年半の投薬で消える事はありませんでした…。
先生が言うには、これから先もこの薬を呑んでいても俺のケースだと「これ以上の効果は認められないでしょう」との事でした…。
加えて、この先5年、10年、数値の上昇を抑えて続けてくれる保証が無い事も付け足されてしまいました…。
こうなると移植と言う選択肢も本格的に考えなければならなくなりました。
俺個人的にもこのまま薬を呑み続けて生活して行く事に些か不満を感じていた事もありました。
「移植の成功率70% 移植後の5年生存率80%」
俺の様なケースの人間の平均だそうです…。
悪くないと思いました。
普通に生きていたってこれくらいじゃないかと思いました。
これで月10万近くの出費が回避できるのであれば、言い方が悪いかもしれませんが「賭け」としては悪くないと…。
私の心の中では、もう「骨髄移植をする」と言う決心が既についていました。
嫁さんを始め、家族はリスクが少しでもある事に抵抗があった様ですが、最後は「俺自身が決める事だから」と一任してくれました。
しかし、2005年の冬は病院のベッドの空きの都合がつかないそうなので、どうやら入院は年明け以降に持ち越される様でした。
続く…。
中だるみでしょうか…。
イマイチ内容にしまりが無い感じが、書いていて自分でも感じてしまいました…。
読みにくかったらごめんなさい。
って、元から読みにくいかw
次回以降、移植に関する内容に入って行きたいと思います。
「前振り長いよ」って感じですね…。
申し訳ないです…。
更新は新年明けてからとさせて頂きます。
今年1年、こんな内容のお話しにお付き合い下さった、皆様。
本当にありがとうございます。 また来年も体験談の更新、そしてまた新たなカテゴリーへの挑戦を考えておりますのでヨロシクお願い致します。
それでは皆さん、良いお年を〜w
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